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守護神を失えば不幸になる……という表現が、誤解を生んで、再度質問を受けた。 「……何とかならないか?」と。 だが、守護神……神から見放されたら、なるほど、大変そうな話ではあるが、突き詰めてしまえば、自称「神」であるから、まあピンからキリまであると思うべきだ。これがたとえば心霊相談で食べている霊能者であれば、その守護神(心霊学的にいえば、通信霊)を失えば、職を失うに等しいから、大変な問題ではある。だが、周囲よりもちょっと感がよい、という程度の人なら、むしろ、雑念が減って楽になるかもしれない。 ラベルで断定してはいけないのである。……大量製造品でなければ、同じラベルであっても、それぞれの価値はピンからキリまである。その辺のことは心霊を学ぶよりもむしろ、八百屋や魚屋を観察した方がよいと思う。
では、守護霊(人によっては主護霊と表現する)を失う……厳密には、消えるとか、無くなる、という意味ではなくて、手を引くとか、口を出さずにただ見守る、ということだが……事による害はどうか。これもまた、その被害を想定するのに注意が必要だ。 まあ、自称守護霊、実質、随伴霊……ほとんど、もしくは、完全な憑依霊であれば、気に入らずに立ち去ってくれるなら、これまた、雑念が減って良いだろう。だが、守護霊が手を引くとなると、本来大事である。……ただし、今まで守護霊と巧く強調してきた人であるなら、だ。そういう場合、守護霊が手を引くとは考えにくい。大抵の場合、関係修復のためにいろいろと努力するものである。だが、「手を引く」といわれるような人の場合、守護霊そっちのけでいろいろやったあげく、失敗し、行き詰まったあげくに守護霊を頼る人が多い。……そう、そもそも守護霊無視で生きている人が、守護霊から手を引かれたからといってなんだというのだろう。現状、無関係に生きているのだから大差ない。 ……いや、行き詰まりが続くのだから大事か? だが、さんざん失敗して、それを無いことにせよ、といわれても守護霊も困ろう。困るとは、大変である、というより、出来なかろう、という意味である。そう、イヤだから手を引くというより、手を引かざるを得ないから、手を引くのである。 結局、どうにもならない。……どうにもならないことをダメ、といわれて、そのまま進むべき道を放り出すから、結局、試行錯誤を繰り返して生きる羽目になる。 そういえば6月のオフ会で、「人の道を意識せよ」という霊査があったが、人の道、大道、惟神……いろいろ表現もあるが…… 目的地を同じくする者同士なら、一時、進む道が異なろうとも、いずれどこかでまた道は交わるものである。が、目的が異なるなら……今は同じ道を歩んでいても、いずれは違う道を選ばなければならなくなる。そして、人と守護霊とは二人三脚で、歩調を合わせて、目指す元へと進むべきと考えるのが心霊主義である。 守護霊と目的地のすり合わせが出なければ、二人三脚であることで、互いを邪魔して前に進めなくなるものだけど、人生の時々でなぜこのように悩むのか、と考える人によく考えてもらいたいものである。 その設問は、例えるなら、海魚がどの山を目指すべきか……適材適所、ということでもある。 自分は、何に向いているのか?……無能な人間も安易な状況下では暮らせる。ならば、安易な環境を求めるのは、果たして愚者の必然か、知者のわがままか、どちらであろう? ところで、守護霊に見放されたら必ず不幸になるとは限らない。・・なにせ、人がなにを持って不幸といい、なにを持って幸福というかは、人それぞれであるし、気分次第でもあるからだ。 「あなたは不幸になります」といわれたら、「私にとって不幸とは何か?」と問うべきかもしれない。いや、相手にせずに立ち去るのが利口か。 |